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  • 『吉田つねひこの医気軒昂~医学部を志す若者へ』~Vol4~

  • 吉田 統彦(よしだ つねひこ) <プロフィール>
    東海高校を経て名古屋大学医学部卒、同大学院修了。前衆議院議員。眼科医。医学博士。愛知医科大学医学部客員教授。昭和大学医学部客員教授。名古屋大学医学部非常勤講師。名古屋医療センター非常勤医師。

    吉田つねひこ先生公式ブログ

    南太平洋キリバス共和国にて医療ボランティアに携わる吉田先生

    南太平洋キリバス共和国にて医療ボランティアに携わる吉田先生

    ただ単に医師を増やせば、医師不足は解消されるのでしょうか?前号で述べた様に日本の医師数は29万5049人で、1990年は約20万人ですので、約1.5倍になっています。この数字は自衛隊の隊員数(現員22万4526人、定員24万7172人)とよく比較をされます。
    まずは医学部の定員に関して考察しましょう。

    医学部は全国に80ありますが、各国・公・私立大学医学部の一学年分の定員の合計は1982年に8,280人でピークとなりましたが、厚生省の医師需給見通しに基づいて定員削減が閣議決定され減少しました。さらに1997年にも削減が閣議決定され、2007年には7,625人まで減少しました。しかし、予見可能であった勤務医不足や医師の地域的・診療科的偏在の深刻化に加え、人口構成や疾病構造の変化および医療の高度化によって医師の需要は増大しました。そのため、慌てて2008年度入試で定員を7,793人に増員し、2009年は民主党政権下で過去最高の8,486人に増員されました。その後も毎年各大学の要請によって適正な増員がなされ、2014年度入試における定員は9,061人となっています。

    では、なぜ当時の政府・与党自民党は社会保障の中核である医療のグランドデザインを誤ったのでしょうか?当時、具体的なデータに基づくことなく、医師出身の医系議員が国会で医師過剰論を唱えていましたが、実は医師過剰を懸念し、医師数抑制を提起したのは厚生省ではなく、1981年に発足し、鈴木善幸内閣が掲げた「増税なき財政再建」を達成すべく、行財政改革についての審議を行っていた第二次臨時行政調査会でした。1982年7月にまとめた「行政改革に関する第3次答申-基本答申-」の中で、「社会保障」の「医療費適正化と医療保険制度の合理化等」の項の「医療供給の合理化」の2番目に「医療従事者について、将来の需給バランスを見通しつつ、適切な養成に努める。特に、医師については過剰を招かないよう合理的な医師養成計画を樹立する」と提言しました。

    これを受けた政府は同年9月の閣議で医師・歯科医師の養成計画について検討すると決定し、結果として医師抑制策が政府の決定となりました。当時、多くのマスコミも疑問を投じることなく、盛んに医師過剰を報道しました。しかし、これらは1948年の医師数算定法に定められた標準医師数が根拠であり、1980年代の医療現場の実情に基づくものではありませんでした。

    当時の日本の対人口医師数は既にOECD諸国の平均より低く、前述のようにその後も他の先進国との差は広がっています。それでも医師と医療従事者は国民の健康と命を守るべく力を尽くしてきましたが、過度の医療費削減を伴った小泉改革によってついに医療崩壊が起こりました。

    再び医学部の定員に話を戻しましょう。前述のように7793人から9061人まで定員が増加している中、更に一校あたり100億円と言われる血税を投じて定員が約100人の新設医大を創立するメリットはあるのでしょうか?

    次回は真の課題とその具体的な解決策を考察します。

    前衆議院議員・医師 吉田統彦

    誠実さあふれる吉田先生の診療に現地の多くの人々が魅了された。

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