木藤 亜也 (著)
愛知県豊橋市に住む木藤亜也(きとう あや、1962年7月19日-1988年5月23日)は中学3年の時、いきなり転んでしまうなどの体の不調を訴え受診、その後医師から、手足や言葉の自由を徐々に奪われながら最後には体の運動機能を全て喪失してしまう難病「脊髄小脳変性症」と診断される。彼女は、体の自由が利かなくなることと自分の意識が変わることのない現実の狭間で生き抜いていく。 彼女が闘病中に手が動かなくなるまで書き綴った日記をまとめた単行本が1986年、名古屋市の出版社から出版された。愛知県など東海地方を中心に大きな反響を呼び、2005年2月には幻冬舎が文庫本として出版。ロングセラーとなる。 1988年5月23日、木藤亜也は脊髄小脳変性症の進行に伴う衰弱と、それに伴う尿毒症により、25年の短い生涯を閉じた。その後、亜也の母・木藤潮香が娘との想い出を綴った単行本「いのちのハードル」が出版された。 なお、「1リットルの涙」の末筆には、亜也の主治医だった山本纊子・藤田保健衛生大学教授(当時)回顧が寄稿されている。文庫版では潮香のあとがきと、『追記』として亜也の最期の模様が載せられている。 2006年には、NHKにて「こころの時代-1リットルの涙から20年」が放送された。
若井 克子 (著)
元脳外科医で、最高学府の教授でもあった夫・若井晋。その彼が若年性認知症になるとき、本人は、そして家族は、どうしたのか。長い苦悩をへて病を受け入れ、新たな道へと踏み出した 夫婦の軌跡を、妻・若井克子が克明に描き出す。●当事者・若井晋が語る「認知症の人から見た世界」とは? 「最初は『何でだ』と思っていました」 「けれども私は私であることがやっとわかった」 「私が見ている感じと、みなさんが見ている感じが違うんです」 「僕の住んでいる世界は、たいへんなんだよ」 「『大変だったなあ』と一言・・・・
山田 倫太郎 (著)
著者の山田倫太郎くんがこの本を著したのは中学2年生の時でした。「フォンタン術症候群」という先天性の障害があり、心臓の左心室と右心室が分かれていないという難病で、彼は赤ちゃんの頃から大きな手術を繰り返し、生死の狭間をさまよってきました。しかも心臓移植手術の対象ではないため根本治療は難しく、通院しながら対症療法を続ける以外に方法はありませんでした。「お兄ちゃんの病気を治すお医者さんになりたい」と言った、当時4歳の弟に向けて、倫太郎くんが一気に書き上げたのが本書です。
◆みんなで読みたい人生の教科書
「患者が望む理想の医者」と題して、次のような8か条を掲げ、それらがなぜ大切なのかを丁寧に綴った部分が、この書のいわば本論です。
第1条:医者というのは、患者さんの病気だけを見ていれば良いというものではない。
第2条:患者さんは、誰もが、自分の受ける治療や検査等に、不安を抱えている。
第3条:患者さんは、いつ苦しみ出すか分からない。
第4条:入院している患者さんにも自分の生活がある。
第5条:入院している患者さんにとって、ベッドは我が家のようなものだ。
第6条:患者や、患者の家族は、手術や検査の結果を心待ちにしている。
第7条:患者さんとの関係は、治療が終わればおしまいという訳ではない。
第8条:医者はどんな状況でも諦めてはならない。
医師、医療関係者はもちろん、生きることの初心にかえりたい方にお勧めの作品です。ほかにも「命の尊さ」や「差別」について書いた倫太郎くんの文章や詩なども収録された珠玉の一冊。
中山 祐次郎 (著)
本書は現役の外科医で小説家でもある中山祐次郎さんが、大きな変革期を迎えている医療の世界の実像をリアルに、そして熱く描き出す一冊です。
コロナ禍では、医療従事者とりわけ「医師」に対する注目度が増し、日米では大学医学部の志望者が増えています。今、医者になる意義とは何か。そのやりがいとは、患者の命を救うとはどのようなことか。そして、医者の年収は実際のところいくらか、働き方改革で激務は解消されるのかなど、余すところなく明かします。