みなさんこんにちは!
ドラゴンスター山下です。
今からおよそ一年ほど前に開始した数学物語も、20回を突破し、
振り返ってみるとこれまで多種多様な話題を取り上げてきました。
今回は、久しぶりに私自身の体験についての話をしたいと思います。
話のテーマは『夢の大切さについて』です。
いま、みなさんは将来の夢というものを持っていますか?
私にはいま、
『予備校の講師として、関わった多くの生徒達の人生を動かしていく』という大きな夢があります。
毎日大学に通って難解な数学の講義を受けているのも、
チューターとしてセントメプレスに勤務させていただいているのも、
この大きな夢を叶えるためです。
もしこの夢がなければ、、、難しい数学の講義を努力して理解していくのは厳しいだろうし、
アルバイトも辞めてしまって、家でぐだぐだ過ごしているかもしれません。
このように、夢にはその人自身の生活を、
もっと言えば人生を、動かすことのできる力があるのです。
もし夢や目標がなければ、人は堕落していきます。
逆に夢や目標があれば、人は一気に輝き始めます。
なぜそのようなことが言えるのでしょうか。
それは私自身が実際に夢の大切さを痛感してきたからです。
今回は、そのことについてお話ししようと思っています。
話は私の高校時代にさかのぼります。
高校生の頃の私には、夢どころか将来のビジョンさえありませんでした。
中学時代、特になりたい職業もなく、なんとなくで選んだ普通科の高校。
自分の中では、進路選択を三年先に延ばしたつもりでした。
しかし、無情にも学習カリキュラムは一年生の終わりにはもう私たちに文理選択を迫ってきます。
当時英語が一番得意だった私は、なんとなくで文系を選択しました。
しかし、当時の担任の先生がこう言いました。
『あなたには数学をはじめとする理系科目の方が向いているんじゃない?
私の経験上男の子は、文系を選んでも理系に行きたかったと言い出す人が多いのよ。
よかったらあなたも理系にしなさいよ』
私は本当は文系に行きたかったのですが、
先生のこの提案を断ることができませんでした。
それはなぜか。夢がなかったからです。
目指すものや目的のない自分には、理系を拒否する理由もなければ、
文系でなければならない理由もなかったのです。
そして、半ば不本意に、流れに身を任せて、将来の選択をしました。
半ば不本意だと思いながらも、周りの流れに身を任せる方が楽だったのです。
私は、どこかでこのままじゃいけないという思いや、少しの焦りを感じていました。
しかしながら、このような自分の迷いを、時間は待ってくれませんでした。
高校3年生になると、たくさんの模擬試験が行われます。
模擬試験につきものなのが、受験届の記入、すなわち志望校を書くことです。
私には夢がなかったので、もちろん志望校も決まっていませんでした。
うちの高校では、上位者は名古屋大学に進むというのが定番でした。
なので私はとりあえず、『名古屋大学』と書いていました。
学部は理学部にしていました。
工学部は工場のイメージ、農学部は畑のイメージがあり、
どちらも楽しそうには思えなかったので、間をとって理学部と書いていました。
今思うと呆れるほど安易な決め方ですね。。
おそらく、これほどまでに理系の学部に関心がなかったのは、
自分が接客業や対人の仕事にしか興味がなかったからなのかもしれません。
私がなんとなくで名大理学部を第一志望にしていることは、
担任の先生にも伝わっていたようで、夏ごろに以下のような提案をされました。
『夢がないなら医者を目指してはどうだろうか。
自分の友人に何人か医者がいるが、もれなくやりがいを持ち、良い暮らしをしている。
少なくとも、後悔することはないはずだ。』
私にとってこの提案はまさに寝耳に水でした。
今まで自分が医者になることなど想像すらしていなかったからです。
しかし、担任の先生は本気でした。直接知り合いのお医者様を紹介してくださったり、
地域枠推薦の話を持ち掛けてくれたり。
私も少しずつ調べていくなかで、医者という職業に魅力を感じ始めていました。
しかしながら、私はそれを夢にすることが出来ませんでした。
医者という職業を身近に感じられなかったこともありますが、
一番は自分の決断力の無さが原因だと思います。
『自分のように元々医者を志していない人間が、本当に他人の命を預かって良いものか』
そればかりをずっと考えていました。
そして決断できないまま、センター試験を迎えます。
医学科進学を選択した場合の為に、
センター対策を中心に勉強していた私の結果は87%。
三重大医学部医学科はC判定でした。
それに対し名古屋大学理学部はA判定。
私はC判定のリスクを冒すほど、医者という職業へのこだわりがなかったため、
名古屋大学理学部のセンター推薦を選びました。
結局ここでも流れに身を任せ、
名古屋大学理学部をなんとなく選択してしまった形となりました。
しかしこの選択に関しては、今思えば賢明だったと思います。
セントメプレスで働く中で、
医師になるためには強い覚悟や志が必要だと学んだからです。
ここまでが私の高校時代です。
周りから見れば、外面はそれなりに華々しい経路だったのかもしれませんし、
自分自身もそう信じていました。
しかしながら、自分の将来にしっかり向き合わず、
常に先送りにしてきたことのツケというものは確実にたまっていて、
このとき既に破裂寸前だったようです。
(続く)
名古屋大学理学部数理科学科4年 山下龍星