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  • 「文学」体験を始めます。~安達雄大の受験雑考その十六
  • 突然ですが、自白します。
    国語屋さんをやっている身として恥ずかしい(?)ことに、
    僕は「文学」…特に「純文学」と呼ばれているものと、
    ちゃんと向き合ったことが。ほぼ一度もありません。
    「文学史」で紹介されているような作品と向き合ったのは、
    高校1年生で読む芥川の「羅生門」と、高校2年生で読む漱石の「こゝろ」だけ。
    あとは一切、読んでません。

     

    そりゃあもちろん、本は読んださ。ああ読んださ。
    でも、歴史小説、ミステリー、それから俗に言う「ラノベ」だけ。
    「グイン・サーガ」も出ている130巻は全部読んだし、
    京極夏彦の京極堂シリーズも全部読んでる。
    塩野七生をむさぼり読んだ時期もある。
    100冊、200冊どころではなく、読んではいる。
    でも、「純文学」とされているものは、1冊も…。

    ついでに言うと、書物自体、
    ここ数年、読んでません。
    言葉にすると、ほんとにダメな国語屋なのが実感できます…。

    誤解のないように言っておくと、
    僕は「純文学」が高尚で、今まで読んできたものが低俗だ、
    だから、「純文学」を読んでこなかったことを反省します、
    そんなことは、全く思っていない。
    ここ数年本を読んでいなかったことを反省しているのでもない。
    そうではなくて、ただただ僕が「純文学」を毛嫌いしてきた、
    本とのつき合いがここ数年断絶していた、
    そういう「自白」をしているだけ。

     

    ところで、こんな僕に、
    この3月に、とある変化のキッカケが訪れました。
    入試の分析原稿を作る仕事の都合上、
    どうしても又吉直樹の『火花』を読まざるをえなくなったこと。
    それから、担当する授業の内容の都合上、
    どうしても「文学史」をやらなければいけなくなったこと。
    (恥ずかしい話、「文学史」あんまり分かっていませんでした…ハズいね…)
    それでもって、『火花』を完読して、文学史を勉強したら、
    何だかとても、「純文学」と言われているものを読みたくなった。
    「純文学」なるものを体験したくなった。
    そういうわけです。

    『火花』が僕にとってどんな作品だったか。
    それを語る権利も、資格も、今の僕にはありません。
    「批評」をするには、知識が足りない。
    そもそも、「批評」をする立場に自分の身をおくこと自体、
    かなり警戒している。

     

    文学者の松浦寿輝が、
    「批評」なんていうのは、
    作品世界をそのまま受容させられるという「劣位」に耐えられないエゴイストが、
    作者と「対等」の位置…場合によっては「優位」に立つべく、
    作品の外部に自ら抜け出てツベコベ言っちゃったがゆえに、
    肝心の小説を心から楽しむことができなくなった、そういう存在だ。
    ・・・というようなことを言っていた。
    (ちょっと誇張してるな…)

    芸術は、そこにあるものをそのまま受け止めるべきだと思う。
    芸術を言葉にして、作者と対等な位置に立ったつもりになってしまうのが、いやだ。
    そういう行為は、
    場合によっては、世界を創った人に対するただの怨恨感情だ。

    「批評」自体を否定する気は、もちろんない。
    「批評」は本来、芸術を創った人とそれを知らない人とのバイパスになるから。
    創られた世界とそれを十分に把握できていない人との、緊密な結びつけをするというのは、大事な仕事だ。

    でも、そういう「批評」本来の本質を見失ったただの批判は醜いし、
    そういう醜い「批評まがい」を最近非常によく見る気がする。
    そういう、嫉妬混じりの怨恨感情だけに駆られた批判だけは、
    僕は絶対にしたくない。

    だからぼくは、「批評」はしない。
    もちろん、「批判」もしない。
    下手な「批判」、安易な「批判」は、
    たちまち、よくない意味での「批評」になるから。
    僕はせいぜい「感想」文を書くだけの存在であろうと思う。。

    だから、『火花』も批評しない。ただ受け止める。
    そうでなくても、今の僕には『火花』を云々する権利はないんだから。
    これから読むであろう作品との関連で、
    再び『火花』の話をする時があるかもしれないけれど。

    それから、かつて読んでいたミステリーや歴史小説は読まない。
    これは、自分に対する「縛り」にしたいと思う。
    散々読んできて、あれらが面白いのはもう知っている。
    でも、僕が今体験したい面白さはそれじゃない。
    「純文学」という新しい面白さだ。

     

    というわけで話を戻すと、
    先日、『火花』を読了しました。
    数年間停止していた読書活動自体が、再開されました。
    スイッチ入ると、順調に稼動するもので、
    実は『火花』に続いて、遠藤周作の『死海のほとり』も読了しております。
    更に続いて、村上春樹の『1Q84』を読み始めました。
    既に下巻の真ん中辺りに到達しております。
    繰り返しますが、まだコメントする気はありません。その権利もありません。
    一言漏らしておくと、村上春樹って、こんなに強烈だったっけ…。

    ちなみに、どういう選考基準で上の3冊が選ばれたかというと、
    たまたま家の本棚にある本の堆積の中にあったから。
    『火花』は、仕事の必要上、つい先日買った。
    『死海のほとり』は、親の持っていたものが僕の本棚に収まっていた。
    『1Q84』は、ある仕事場のスタッフさんから、何の因果か買い受けた。
    つまりこれらは、偶然集まった本たちです。

    これから、自分が読んだ作品について、
    ちょいちょい書いていくかもしれません。
    まずは、その開始宣言でした。

     

    2017年4月23日 記

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