だからこそやれるだけやってみようと
思った。
普通のことを普通にやることは
当たり前
つまり
みんなが勉強している時に
みんなが勉強している熱心さで
机に向かうことは当たり前。
当たり前というのは
足元に大地があるのと同じ感覚で
いちいち意識してなくても
気張らなくても
できている感覚
普通に。
そんなの常識だから
どうやって非常識なまでに
異常なまでに頑張るか。
偏差値40強から半年で同志社をクリアするには
その一点に
一縷の望みをかけるしかなったのだ。
私大文系180人中173番と
学力的に深海魚状態だった僕にとって
同志社は高くて険しい山だった。
避けて通ることも
もっと低いなだらかな山を選ぶこともできたのだが
そうしたいとは露ほども思わなかった。
その山に登りたかったからだ。
ちょっとオーバーだけど
「なぜエベレストに登るのか」
と問われて
「そこに山があるからだ」
と応えたジョージ・マロリー流に言うなら
僕の場合、そこに同志社大学があったのだ。
当時、大の東京嫌い、
生粋の関西人を自負していた僕にとって
山川の日本史の教科書に
早稲田・慶応と並んで載っている同志社は
まさに関西の誇り、
在野の象徴、
巨人・大鵬・卵焼きに対するアンチ・テーゼ、
読売ジャイアンツに対する阪神タイガースだったのである。
プリティ中野