セントメプレス夏期合宿の安達雄大先生
こんにちは。
一部ではキューティ安達と呼ばれている安達雄大です。
大学・学部を選ぶ際に、
大事にすべきものは、何だろう?
大抵の場合に持ち出されるのが、「将来のヴィジョン」。
将来何をしたいか。社会に出てからどんな仕事に就きたいか。
そうしたことを受験生のうちから見据えて、そのヴィジョンに合わせた大学選びをすべきだ。
将来の自分のヴィジョンが明確に描けていないと、
日々の勉強にもモチヴェーションだって上がらないぞ?
・・・。
正直、こういうアドバイスを聞いていると、
何だかとてもアナクロな説教を受けているような気分になってくる。
将来のヴィジョンが決まっていることは、素晴らしいことだと思う。
やりたいことがある。
そのやりたいことにまっしぐらに突き進む生活がある。
これは、本当に素晴らしいことだと思う。
しかし・・・だとしたら・・・だとしたら、だ。
将来のヴィジョンが決まっていないことは、悪いこと、あってはならないことなんだろうか?
やりたいことも分からないままに曖昧に勉強していくことは、ダメなことなんだろうか?
そもそも、現代日本において、十代のうちから「将来のヴィジョン」なるものを描くことは、そんなに簡単だろうか?
家系・・・親の稼業・・・地域柄・・・身分・・・
そういった様々な外的要因によって「人生」が決められていた旧社会。
現代は、そうした旧社会とは違う。
現代は何にでもなれる社会だ。
何にでもなろうとできる社会だ。
そして、社会の方も多様な価値観を受け入れ、
受け入れられた価値観に応じて社会的な生き方の形も多様化している。
そんなこんなで、「人生」の選択肢が、
意志と能力と努力と世相の組み合わせの中で、無数に広がっていく社会だ。
そんな複雑な社会の中で、さて、「将来のビジョン」・・・。
・・・そんなに簡単に決まるものかねぇ?
僕自身は、人生に迷いまくった。
時間にして人の数倍くらい、社会に出る前に徹底的にグズグズした。
今から思うと「ただの迷走」としか思えないような時期もあった。
結局「人生」なるものがある程度の形をとったのは、三十になる直前だ。
そんな僕だからかもしれないけれど、
「ヴィジョンがあってこその勉強!」という教条を聞くと、
やっぱりなんだかアナクロだなぁ~・・・という印象を抱いてしまうわけだ。
「将来のヴィジョン」が決まっている、見えている君、
君は幸福だ。それに向かってまっしぐらに突き進みなさい。
そして、そうでない受験生諸君、
君達は、まずは今の時点で自分が好きなものをやりなさい。
好きな教科、好きな科目・・・そこから見えてくる、興味の湧く名前の学部・・・。
将来の君ではなく、今の君が惹きつけられているものの導きに従いなさい。
「人生」を決められないままでいる自分を、苦に思わなくていい。
この複雑な社会では、多分「将来のヴィジョン」なんて、そう簡単に決まらないから。
まずは、その好きな何かをやってみること。
その何かが、次の何かを決めてくれるから。
その導きの中で見つかる、人生スパンの何か。
それが何歳の時にやって来るかは、分からない。
それは受験を通過してから、もっともっと先のことかもしれない。
(くどいようだけど、僕の場合は三十手前でした。)
でも、必ずやってきます。
そういうものが見えてきたら、それを絶対に逃さないことです。
以上、大学選び、学部選びで困っている君への、メッセージでした。
2014年8月18日記