迷いと苦しみの中、生涯の師 法然上人と出遇う 流罪となって越後へ 常陸へ旅立ち、関東一円に教えを広める 晩年の親鸞聖人は京都へ戻り、執筆に心血を注がれます
「善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」(悪人こそが救われる)の一文は「悪人正機」の思想であり、人間平等の思想でもあるとして あまりにも有名です。
9歳にして御得度 ⇒ 以来29歳まで比叡山で修行 ⇒ 法然上人の門下に入る
こと6年のち ⇒ 親鸞34歳のとき越後・居多が浜へ、74歳の法然(四国。高知へ)とも流罪となる ⇒ 赦免 法然は高齢を配慮され1年後京都へ帰る、親鸞5年後赦免され、越後・関東の地で法然の専修念仏を弘通すると共に執筆活動をする ⇒ 結婚する
60歳の頃、京都へ単身で戻り知人のお世話で居宅を転々と変わり執筆活動を中心に生活をする ⇒ 90歳に寂滅する
● よき人との出会いは 自分の一生を決定づける
● 人のしあわせは、今、ここにある また、この先も求め続ける
● 自力難行は 生涯修行 他力易行は、修行の結果を人の役に立てる人となる
● 人の世は みな同じ 摂取不捨である
親鸞聖人は、欲を満たす一時的な幸せではなく、人間に生まれてよかったと心から喜べる、永続する幸せがあるのだと教えられています。人生の目的と、その完成のあることを強調されています。 「人間に生まれたからには、これ一つ果たさなければならない大事業がある。それは今、完成できる。 だから早く完成しなさいよ」と生涯教えられたのが親鸞聖人です