合格発表は今出川キャンパスまで見に行った。
確信はなかったが掲示板に自分の番号を見つけた時に
意外な気はしなかった。
ここで驚くくらいなら
わざわざ大阪から京都まで見に来たりはしない。
と、?年後の僕はカッコつけてみた。
公衆電話から家で待つ母に一報を入れた。
弾む声で受話器を置くのが惜しくなった。
じわじわと嬉しさがこみ上げてきた。
おなかが減ったので
河原町今出川の王将で餃子とチャーハンを食べた。
そんな記憶がある。
翌朝、職員室に報告に行った。
担任始め親しい先生達が喜んでくれた。
国語の先生も
日本史の先生も
受験には関係なかった数学や理科、
体育や美術の先生まで笑顔で祝福してくれた。
いい気分でニコニコしていると
「奇跡やな」という声が背後で聞こえた。
振り返ると英語の先生だった。
「半年前に5文型で悩んでたお前がな。
奇跡というしかないわいな」
「そうですよね」と返したものの
少々馬鹿にされた気がして
「いいえ、必然です」と言ってやればよかったと後悔した。
「奇跡やな」と言われたこと。
この一件は夜になって思い出す程度には
心に引っかかっていた。
少し考えて次のように思うことにした。
「必然」は時として「奇跡」と呼ばれるのだ。
あれだけ努力したのだから受かって当然という人がいる一方で
結果しか見ない人もいる。
世の中にはむしろ後者のほうが多いのだろう。
それでいいのだ。
努力は自分だけが知っていればいいのだ。
自分だけが知っている宝物なのだ。
少し大人になったような気がした。
プリティ中野