「翻訳」は「橋架け」だって、知ってますか?
「end」って、どういう意味ですか?
「・・・馬鹿にしてるんですか?」という感じですよね。
答えはもちろん、「終わり」です。
ところで、いつでもそうですか?
Science is a good thing, but it is not an end in itself;
it is a means toward an end and that end is human betterment.
例えばこの一文。「end」が含まれていますが、この「end」も「終わり」ですか?
「科学はよいものだが、それにおいて終わりではない。
科学は終わりに対する手段であり、あの終わりは人間の改善だ。」
・・・はい、訳せました。
・・・とか言っちゃう人は、思考力(国語力)が欠落しています。
だって、「終わり」の意味が実感的なものとして分からないもの。
「終わり」が分からないから、「科学」についての何の話なのか分からないし、
「人間の改善」っていう言葉まで意味不明になる。
それは、「end」がいつでも「終わり」と置き換えればいい・・・という思考停止をしているからです。
「end」は、「beginning」とか「start」と対比的に使われる場合には、
確かに「終わり」ですし、大抵は、そういう使われ方をします。
しかし、先の一文のように、その「end」が「means」という語と対比におかれた場合には、
「end」は本当に「終わり」でしょうか・・・?
違います。「means(手段)」の反対は、「目的」。そう・・・「end」は「目的」でもあるのです。
はい、やりなおし。
Science is a good thing, but it is not an end in itself;
it is a means toward an end and that end is human betterment.
「科学は良いものであるが、それ自体は目的ではない。
そうではなくて、(別の目的のための)手段であり、(本当の)目的は人間の改善だ。」
この「(別の目的のための)」「(本当の)」といった、
表だって現れていない事柄が見えるかどうか・・・。
それこそが、「分かる」と「分からない(あるいは分かったつもり)」の境界線。
「英文」しかり、「古文」しかり、「漢文」しかり。
みんな「英」「古」「漢」の方はみっちりやるんですね?
でも、それが現代日本語として意味を持つものになっているか・・・
そのチェックが、皆さんビックリするほどに甘い。
肝心のそれを翻訳する先である「言葉(現代日本語)」に関する意識が極めて薄い。
だから、日本語の観点から見てイミフな「置き換え」をして、それを「訳」と呼んでしまう・・・。
覚えたものは全て、そのままあてはめればそのまま使える・・・とでも?
翻訳は「架け橋」です。向こう側(異文化側)とこちら側(自文化側)との。
向こう側ばっかり鉄骨で固めて、こちら側の部分がグッズグズなんですね。
だから、橋が架からない。
翻訳系教科の行きづまりは、意外とそういう次元で起こっていたりするように思います。
もちろん、
「文法や単語なんて暗記しなくても、日本語的な処理能力があれば大丈夫だも~ん」
なんていう構えは、論外ですよ?
2014年11月20日
キューティ安達先生