お久しぶりです。花城勇人です。
僕がいま熱心にキーを叩くここセントメプレスでは、
私立、国公立ともに前期試験も一段落し、
後期試験へ向けての準備が慌ただしく行われている頃であります。
塾生のみなさんにはぜひとも合格を勝ち取ってほしいと強く願うばかりです。
さて、今回は僕が医学の道を、特に基礎医学研究を志した経緯について述べさせて頂きます。
僕は元来何の分野でもいいから学問に携わる人物になりたいと漠然と考えておりました。
世界中の遺跡を旅して壮大な過去に思いを馳せる考古学者にもなりたい!
宇宙物理学者となって今なお現在拡大を続ける広大な宇宙のすべてを
解明してやるという意気込みであった時期もあります。
あるいはたくさんの生徒を世に送り出す先生になりたい、
そう考えていた日々もありました。
このように、学問に携わることができれば、文系でも理系でも、
教師でも学者でも何でもよいと昔は思っていました。
しかし中学生になると、僕の興味は著しく理系、特に理科へと向けられていました。
(今思えば国語、社会科目への激しい嫌悪感はこの当時に形成されたに違いありません(笑))
理科系の職に就くぞ!将来の目標が多少ではありますが具体化されました。
そして高校2年生の時分に選択した生物を履修したことにより、僕の目は生物系に向けられました。
また、高校時代に所属していた地学部という部活で3年間地震の研究をしていましたが、
この活動を通して研究というもののすばらしさ、楽しさを知り、
生物系の研究者になることを決意しました。
無論、この3年間で、研究の苦悩もいやというほど思い知らされました。
膨大なデータを解析してやっと立てた仮説が、
その後の考察によって間違っていると分かった時のやるせない悔しさ、
せっかく発表しても批判的な意見が寄せられる厳しい現実。
良くも悪くもいろいろと体験しました。
それでも僕は全部ひっくるめて、研究者になりたいと強く思いました。
そんな折、僕にとって医学を志す大きなきっかけとなる転機が訪れました。
親戚に不幸があり、乳がんで僕のいとこが亡くなりました。
いとこが亡くなる前の一年間にたびたび会いましたが、
会うたび衰弱していく様子は、僕の目から見ても明らかでした。
そして亡くなる少し前に最後に目の当たりにしたがんと闘う人間の姿、
がんで亡くなる悲しみ、これらが僕を医学の道へと駆り立てました。
そうして医学生として生きている今、
この道を選んだ後悔など微塵もあるわけがありません。
医学には大きく分けて、臨床と基礎研究との2つがあります。
簡単に考えれば、基礎研究は理論や治療法の開発、臨床はその実践と研究へのフィードバックです。
どちらも重要で、双方の存在によってはじめて医学たり得ます。
こういった中でも僕が基礎医学研究を選んだのは、
上記に挙げた遍歴と、
生来のメカニズム好き
(どのような機序で物事が成り立っているのか考えるのが
面白くて仕方がない変人気質のことをいいます)によります。
これまで見てきた通り、生まれて20年の間に、やっと夢が具現化されてきました。
少し厭世的な論調で、「何かになるということはそれ以外であり得たという可能性を放棄すること」
とか「夢に一歩近づくのは他の夢達を殺すこと」などと語られることがあります。
しかし僕の夢は、考古学者や宇宙物理学者を目指していたあの当時と変わらず大きい、
いやむしろ宇宙よろしく、いまなお拡大を続けているといっても過言ではないと、
恥ずかし気もなく言い切ります。なぜなら僕が考えるところの基礎医学研究者とは、
場合によっては世界中の病床に伏す人々、
あるいは僕の死後に生まれくる未来の人類をさえ死の淵から救い出すことができるかもしれない、
それこそ夢のような職業だからです。
もうすぐ21歳を迎えようとしているのにもかかわらず、
端から見れば恥ずかしくなるような片腹痛い夢を僕が描いているのです。
僕より若い、医学を志す受験生あるいは医学以外の道で活躍しようとしている
ティーネージャーたちの夢の大きさを誰が笑いましょうか。
夢は、大きく、胸を張って。
稚拙な文章でしたが最後までお読みくださり感謝申し上げます。
名古屋大学医学部医学科2年花城勇人
上記の写真に写ってる人物のいずれかが私、花城です。さて私はどちらでしょう?