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吉田つねひこの医気軒昂


吉田 統彦(よしだ つねひこ) <プロフィール>
東海高校を経て名古屋大学医学部卒、同大学院修了。前衆議院議員。眼科医。医学博士。愛知医科大学医学部客員教授。昭和大学医学部客員教授。名古屋大学医学部非常勤講師。名古屋医療センター非常勤医師。

吉田つねひこ先生公式ブログ

前号に引き続き、医師数に関して考察します。日本独自の医療供給体制を鑑みると、真の課題は医師数の不足ではなく、地域による医師の偏在と診療科の偏在によるものであるのは明らかです。では、その解決策として、新設医大は適切でしょうか?たとえ医師不足の地域や東日本大震災の被災地に新設医大を創立しても、結果として医師は自分の生まれ育った地域や医師としてのキャリアアップを可能にする医療施設での勤務を望むでしょう。

加えて忘れてはならないのが、医師数を増やせば医療費も増大するという事です。医師を育成するためには多額の税金を要します。それだけでなく、医師数が増えれば医療費も当然増大するわけです。現在の概算医療費は既に40兆円に迫っている事も忘れてはなりません。つまり医師数を増加させるのであれば、現在の日本国の医療供給体制や人口動態を鑑み、二次医療圏などの見直しも含めた国家戦略として、ある程度個人の職業選択の自由を犠牲にしてでも行うという政府の強い意志とグランドデザインが必要でしょう。

そもそも田中角栄元首相の一県一医大構想で新設された医学部の卒業生の卒業後の動向を見れば明らかです。またこの構想が理想通りうまく機能すれば、医療崩壊もくいとめられた可能性がありましたが、残念ながらそのような結果にはなりませんでした。一県一医大構想とは私が生まれる前年にあたる1973年に第2次田中角榮内閣の元で閣議決定された「経済社会基本計画」に盛り込まれた構想で、当時医学部のなかった15県に医科大学(医学部)を設置し、地域の医療に貢献させようとした構想です。田中元首相の思いをもっと良く表現するとすれば「無医大県解消構想」の方がしっくりくるかもしれません。ちなみにこの構想による医学部設置政策は「一県一医大政策」「無医大県解消政策」と呼称されます。この政策の本質と狙いは何であったのかをもう一度よく考えて、医師数の問題と新設医大の問題を考える必要があるでしょう。
次回はもっと踏み込んで、新設医大の課題と現状に関して、お話します。

前衆議院議員 医師 吉田統彦拝

ビジョンバン

東日本大震災後に宮城県で眼科診療に利用しているビジョンバン(眼科医療支援車両)が日本眼科医会、日本眼科学会、宮城県眼科医会をはじめとした医療関係団体と民間企業が連携した海外医療支援活動として台風被災後のフィリピンで活動しました。
現地眼科医の協力を得ながら、10日間で1,922名の診療を行いました。写真は右から日本眼科医会会長高野繁先生、慶應義塾大学眼科教授坪田一里先生、フィリピン眼科医会会長ハービー・ウイ先生、そして私、吉田つねひこです。
東日本大震災の際にマイアミ大学からVision Vanをお借りし、石巻で診療にあたった事を思い出します。日本版ビジョンバンが国内だけでなく、海外の災害でも活躍するのは日本版ビジョンバン実現に力を尽くした身としては大変嬉しいです。

吉田統彦拝

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