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  • 『吉田つねひこの医気軒昂~医学部を志す若者へ』~Vol30~

  • 吉田 統彦(よしだ つねひこ) <プロフィール>
    東海高校を経て名古屋大学医学部卒、同大学院修了。前衆議院議員。眼科医。医学博士。愛知医科大学医学部客員教授。昭和大学医学部客員教授。名古屋大学医学部非常勤講師。名古屋医療センター非常勤医師。

    吉田つねひこ先生公式ブログ

    保守を考える:その4 世界の保守
    (乙)英国の保守その1

    本稿では「保守主義の父」と言われるエドマンド・バークの母国である
    英国の保守に関して考察していきましょう。

    英国は現代において二大政党制の国であり
    その二大政党とは保守党と労働党です。

    ここしばらくの英国の政治において大変興味深い傾向がありました。

    それは非常に若い党首を仰いで
    それまで選挙で連敗し続けていた野党が政権を奪取するというもので、
    労働党のトニー・ブレアは1994年に41歳で労働党党首、
    1997年44歳で首相となり、
    前近代的・封建的な慣習や制度が残存していた
    貴族院の世襲議員議席数の制限と
    イギリス最高裁判所の権能独立という二大改革を成し遂げました。

    保守党のデーヴィッド・キャメロンは39歳で保守党党首となり
    右寄りとなっていた保守党を中道に修正し、
    2010年5月に43歳7か月で首相となりました。

    さて英国の保守主義は保守党と歩んできたわけですが、
    保守党は正式には保守統一党(Conservative and Unionist Party)と言い、
    その前身はトーリー党ですが
    直接的な起源は1783年に24歳の若さで首相に就任し、
    通算でウォルポールに次ぐ歴代2番目の長さの18年と343日にわたって
    首相を務めたウィリアム・ピット(小ピット)の支持者たちのグループでした。

    その多くはホイッグ党(後の自由党及び自由民主党の前身)出身で、
    小ピット自身もホイッグとして経歴をスタートさせたため独立派ホイッグと名乗り、
    彼らはトーリー党と協力して政局に臨んでいましたが、
    小ピットの死後はピット派もトーリー党を名乗るようになり、
    旧来のトーリー党を含めて新しいトーリー党が誕生しました。

    ピット派及び新しいトーリー党は
    1783年の第1次ピット内閣成立から1830年まで
    ほぼ一貫(6年ほどの間を除いて)して政権を担いました。

    保守党としての成立は1830年代と言われていますが、
    その正確な日時は不明とされています。

    以降、保守党は1920年代まで自由党と二大政党制を形成します。

    自由党はホイッグ党への旧カニング派(ジョージ・カニングの派閥。

    彼は自身の政治的立場を語る際にトーリーを避け、
    conservativeと言う言葉を用いた)及び急進派との合流により1830年頃成立し、
    1840年代に保守党からピール派
    (穀物法廃止論争を巡り保守党の自由貿易派が形成した党派)が合流しました。

    政党としての成立は1859年の第2次パーマストン内閣
    (首相は第3代パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプル)の成立が一つの契機と考えられます。

    後に労働党の台頭により勢力を失い、
    1988年社会民主党と合併し、
    社会自由民主党を経て自由民主党となりますが、
    現在も地方議会では社会民主党の合併を快く思わなかった勢力が自由党として活動しています。

    元衆議院議員 医師 吉田統彦拝

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