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  • 安達雄大の受験雑考その二
  • 大学受験国語・医学部小論文指導の俊英 安達雄大先生

    駅でお昼ご飯を食べていたら、

    隣の席で、二十そこそこの医学生が二人で、

    机いっぱいに書籍を広げて、定期テストの「ヤマ当て」をしていた。

    ちなみに、僕は、

    「ヤマ当て」という行為そのものに否定的だった。

    「ヤマ当て」だぁ?

    そんなものは「全範囲を勉強する」という至極当然の行為を回避すべく陥る怠惰じゃないか。

    そんなヒマがあるなら、全範囲やればいいのに・・・。

    という、侮蔑の思いを持って、二人のやり取りに耳を傾ける。

    「○○細胞の数を考えたら、試験日までに暗記できない・・・」

    「あの授業の終わりでのコメントは、ここが出るっていうサインじゃない?」

    「一通り本を漁ってみたんだけれど、この領域のコアになっているのは○○と△△」

    「・・・ってことは、そこをおさえておけば、試験当日の思考で何とかなるよね」

    「要はさ、課題の量と試験日までの日数を考えれば、

    先生の言いたいのは思考と暗記の組み合わせで乗り切れってことでしょ?」

    「・・・」

    「・・・」

    「・・・」

    こんなやりとりを延々と聞いているうちに、

    僕の中での「反ヤマ当て感情」が、急速に萎んできた。

    「ヤマ当て」=「倒錯的な怠惰」という図式が、揺らいできた。

    ヤマのはり方が、普通じゃない。

    高度に戦略的で、高度に情報分析的で、高度に論理的だ。

    授業での先生の示唆から、自分で調べた知識や情報まで、

    与えられている情報を総合的に捉えて判断を下す知的営為があった。

    自分で向き合って、自分で考えて、自分で判断する姿勢が、むしろステキ・・・。

    昼食をたべおわるころには、

    「知的営為は、たとえヤマあてであっても生産的だ」と自分の認識を書き換えた。

    おそらく彼らのヤマは、いくつか外れるだろう。

    ヤマとはそういうものだ。

    でも、彼等は試験の結果に納得するだろう。

    ヤマが外れたことにさえも。

    もっと言うと、彼らは、試験を通過して単位を手にするのじゃないだろうか。

    もちろん僕は、ヤマ当てを肯定しているのではない。

    「何をやったらいいですか? ― それをやれば受かるんですね?」

    こういう低レベルな思考停止のヤマとは次元が違う。

    そんなものは知的営為とは何の関係もないし、

    第一他人のヤマに隷従しているだけだ。

    僕が言いたいのは、

    ヤマ当てであれ何であれ、そこに自分なりの思考や苦闘があるのなら、

    結果がどうであれ、自分で納得できるだろうし、

    何よりも意味あるものとして自分に返ってくるだろう、ということです。

    ともあれ、いい勉強になりました。

    医学生よ、ありがとう。

    2014年8月4日

     

    ラ・サール五稜郭高田と

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