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  • 安達雄大の受験雑考その一
  • 受験教育に関わり出してから、実はもうかなり長いのだけれど、

    ここ数年でようやく、教えの場において自分が何を大事にしなければいけないのか、そのヴィジョンが、少しずつ形をとってきたように思う。

     

    受験というのは、大学に入ってからそこで勉強できるか、その資質を問うもの。

    一定の学力を示せば、「我が大学で学んでいただく資質あり」という、大学側からの応答がくる。それが「合格」。

    一定の学力に満たなければ、「うちに来て勉強してもらっても、あまり意味がないかも・・・」という応答がくる。それが「不合格」。

     

    だから、受験生には、

    入学後もしっかり勉強できるような学力を、実際に身につけてほしい。

    間違っても、内実的な資質も持たないのに学力があるように見せかけて、入学を勝ち取ってしまうことはやめてほしい。

    それは、誰のためにもならない。

    大学のためにだけではなく、何よりもまず、君のためにならない。

    「入ってしまえばこっちのものじゃないか!」と反論したい気持ちもわかる。

    でも、入学して、勉強を始めて、資質欠如のゆえに勉強にならず、予備校に帰ってきてしまう子は、少なからずいる。

    大学に入って、「迷子」になって、入り口に戻ってきてしまったわけだ。

    おそらくだけれど、予備校に帰ってこなかったら、彼らは「なんちゃって大学生」として4年間を空疎に過ごし、もっと残念な結果に陥っていたかもしれない。

    そういうことをトータルに踏まえて、あらためて言う。

    不自然な入学は、君のためにならない。「入ってしまえばこっちのもの」は、実は幻想だ。

    「こっちのもの」になるのは「入学」と「卒業」だけであって、その間にある肝心の「入学から卒業までの間に何かをつかむ」ということが、スッポリ抜け落ちてしまう。

     

     

    さて、受験生諸君。

    「効率化された学習」は、大いに結構。

    「入りたい大学の傾向に合わせた勉強」も、大いに・・・とは言わないが、まぁ結構。

    だが、こういう効率性追求の延長線上に、

    「学力から切り離されたただの解法の習得」がある。

    それが、僕には許せない。

    「学力まがい」をちらつかせての入学は、繰り返すけれども誰の得にもならない。

    「思考停止的なテクニック」については、この雑考の中で折に触れて否定していくつもりだ。

    もちろん、そういうところに喰いついてしまった受験生自身にも、非はある。

    でも、一番の非は、そういうものを教えた側にある。

    「予備校」というところは、そういうところであってはならない。

     

     

    だから、僕の基本スタンスは、

    正面から教科・科目に向き合い、

    正面から問題に向き合い、

    自分で考えて、

    自分で答えを出して、

    その繰り返しの中で、大学以降の勉強に活きる学力を得る、

    そういうことが受験生に可能になるように、ものを伝えていくこと。

     

     

    以上、僕が今一番大事にしていることを、書いてみました。

     

    安達雄大拝  2014年7月24日

     

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