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小論文課題 私達の人生

受験生 勉強は先を焦るな!! 楽しんで。
勉強は わからない事の発見です。

1. はじめに

1 先ずは、課題文の素読を2回以上する。
2 理解できない語句に朱線を引きながら2回以上繰り返して読む。
3 朱線を引いた語句を広辞林(辞典)で調べ、余白に書き込む。
4 この学習を終えてから、前後の文を拾い読みする。
5 課題文を精読する。3回以上心を込めて読み補すこと。
6 むつかしいなと思えば、自分なりに1ページには何が述べられているかをまとめる。但し100語以内で書き留めること。
7 この作業を終えてから、「起承転結の法則」にある要領を十分読み込んで欲しい。
8 次の小論文課題は、この自学自習を終えてから考えたい。

塾生・受験生の諸君

As flies to wanton boys, are we to the gods.
They kill us for their sport.
神々にとって我々は、いたずら小僧にとってのハエのようなもの。
神々は慰み半分に我々をお殺しになるのだ。

ーShakespeare;King Lear, Ⅳー

ハエは煩く、汚く、憎らしいが、一方また、小さくてか弱いためか、しばしば親愛の情もある。昼寝時に、一匹のハエは本当にうるさい。

第7波コロナ禍の中ご自愛ください。

受験生は どこのトンネルを通れば 暗闇から 日差しを診ることができるのだ
このトンネルを越えなければ 次のトンネルも通過できない
さぁ! 闇を通過する覚悟を決めよう そして 次のステップ備えを蓄えよう!

2. 受験生・保護者の皆さんへ

私達 医歯薬文理進学研究会の皆さんは、全力を尽くし この夏の受験生対応に全力を挙げて応援しています。
悩み事はまず気軽に相談ください。

決めたことは 実行する 受験勉強を楽しむ 自己努力

「桃栗3年 柿8年 梅はすいすい13年」という言葉があります。
この意味は 人間も同じでいろいろ立ち位置が異なり環境・境遇は様々ということです。従ってタイプもそれぞれです。焦らず自分流を発揮して欲しいものです。

3. 「起承転結の法則」を徹底的に攻略しよう

起承転結の例

  1. 起:おばあさんが拾ってきた桃から桃太郎が生まれる。(きっかけ)
  2. 承:悪さをしている鬼を退治するため、鬼ヶ島へ向かう。
  3. 転:道中で仲間にした犬猿キジとともに鬼と戦う。
  4. 結:鬼を退治して財宝を持ち帰る。
1 日本昔話「桃太郎」

桃太郎の「起」は、大きな桃をおばあさんが拾い、そこから桃太郎が生まれたこと。「承」は桃太郎が鬼を退治するため、鬼ヶ島へ向かう旅に出ること。「転」は道中で仲間になったイヌとサル、キジと一緒に鬼と戦ったこと。そして「結」では鬼を退治し、宝を持って家に帰ります。

例文
『起』
むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へせんたくに行きました。
『承』
おばあさんが川でせんたくをしていると、ドンブラコ、ドンブラコと、大きな桃が流れてきました。「おや、これは良いおみやげになるわ」おばあさんは大きな桃をひろいあげて、家に持ち帰りました。そして、おじいさんとおばあさんが桃を食べようと桃を切ってみると、なんと中から元気の良い男の赤ちゃんが飛び出してきました。「これはきっと、神さまがくださったにちがいない」子どものいなかったおじいさんとおばあさんは、大喜びです。桃から生まれた男の子を、おじいさんとおばあさんは桃太郎と名付けました。桃太郎はスクスク育って、やがて強い男の子になりました。
『転』
そしてある日、桃太郎が言いました。「ぼく、鬼ヶ島へ行って、わるい鬼を退治します」おばあさんにきび団子を作ってもらうと、鬼ヶ島へ出かけました。          旅の途中で、イヌに出会いました。「桃太郎さん、どこへ行くのですか?」「鬼ヶ島へ、鬼退治に行くんだ」「それでは、お腰に付けたきび団子を1つ下さいな。おともしますよ」イヌはきび団子をもらい、桃太郎のおともになりました。そして、こんどはサルに出会いました。「桃太郎さん、どこへ行くのですか?」鬼ヶ島へ、鬼退治に行くんだ」「それでは、お腰に付けたきび団子を1つ下さいな。おともしますよ」そしてこんどは、キジに出会いました。「桃太郎さん、どこへ行くのですか?」「鬼ヶ島へ、鬼退治に行くんだ」「それでは、お腰に付けたきび団子を1つ下さいな。おともしますよ」こうして、イヌ、サル、キジの仲間を手に入れた桃太郎は、ついに鬼ヶ島へやってきました。鬼ヶ島では、鬼たちが近くの村からぬすんだ宝物やごちそうをならべて、酒盛りの真っ最中です。「みんな、ぬかるなよ。それ、かかれ!」イヌは鬼のおしりにかみつき、サルは鬼のせなかをひっかき、キジはくちばしで鬼の目をつつきました。そして桃太郎も、刀をふり回して大あばれです。
『結』
とうとう鬼の親分が、「まいったぁ、まいったぁ。こうさんだ、助けてくれぇ」と、手をついてあやまりました。桃太郎とイヌとサルとキジは、鬼から取り上げた宝物をくるまにつんで、元気よく家に帰りました。おじいさんとおばあさんは、桃太郎の無事な姿を見て大喜びです。そして三人は、宝物のおかげでしあわせにくらしましたとさ。


有名な『桃太郎』の全文ですね。大人になって読み返すと疑問に感じる箇所が多々あると思いますが、ここでは置いておきましょう。もし、『桃太郎』を起承転結で分けるのなら、例文のような割り振りになると思います。『桃太郎』の場合でも『起』『結』が短く、『承』『転』が長く構成されているのが分かりますね。もちろん、『桃太郎』の作者は私ではありませんので、ある程度は起承転結の部分が異なるかもしれません。

しかし、老父と老婆の日常を紹介した『起』から始まり、桃から男の子が生まれた出来事の『承』、その男の子が鬼退治に出かける転換の『転』、鬼退治を退治して戻ってくる『結』という構成で、おおよそは間違っていないと思います。そのため、起承転結の使い方が正しい模範的な例文といえるのです。もし、ストーリーの作り方で行き詰っているときは、ぜひ『桃太郎』の構成を勉強してみると良いでしょう。

【説明】

「起」の意味:「起」は話の最初、聞き手に伝えたい事前情報や話の背景を伝える部分です
聞き手に本題を理解してもらうために、必要な情報を示します。
・私はいつも朝7時に朝食をとることにしています。朝8時に家を出れば、8時30分には会社に着くからです。

「承」の意味:「承」は話の導入部分で、本題に入るための文章が入ります。
本題直前のできごとを示します。
・私はいつも通り、今日も朝8時に家を出ました。今朝は雪が降っていたので、バス停までは滑らないように慎重に歩きました。

「転」の意味:「転」は「起」と「承」を受けて展開が起こる部分で、本題を示します。
話の中で自分が一番聞き手に伝えたいことは「転」に入れましょう。
・バス停にはいつもとそう変わらない時間に着きましたが、バスがいつまで経っても到着しません。同じように待っているほかの人たちは、雪の影響ではないかと話しています。

「結」の意味:「結」は話の最後にくる結論部分です。
「転」で起きたことの理由や、その後どうなったのかを示します。
・私は、このまま待っていてもバスは来ないだろうと思いました。念の為会社に状況を伝えてから、やむなく電話でタクシーを呼びました。幸いタクシーがすぐに迎えに来たので、会社に遅刻はしませんでした。

2 まとめ
  1. 【起】・私はいつも朝7時に朝食をとることにしています。朝8時に家を出れば、8時30分には会社に着くからです。
  2. 【承】・いつも通り、今日も朝8時に家を出ました。今朝は雪が降っていたので、バス停までは滑らないように慎重に歩きました。
  3. 【転】・バス停にはいつもとそう変わらない時間に着きましたが、バスがいつまで経っても到着しません。同じように待っているほかの人たちは、雪の影響ではないかと話しています。
  4. 【結】・私は、このまま待っていてもバスは来ないだろうと思いました。念の為会社に状況を伝えてから、やむなく電話でタクシーを呼びました。幸いタクシーがすぐに迎えに来たので、会社に遅刻はしませんでした。
3 かぐや姫

ここでは、起承転結の正しい使い方をご紹介していきます。分かりやすいように「かぐや姫」を例文にしてみましょう。

  1. 【起】こどもに恵まれないおじいさんとおばあさん。ある日竹やぶでかぐや姫と出会い、3人でつつましく生活しています。
  2. 【承】美しく成長したかぐや姫の噂が、国中に広がり都でも評判に。噂を聞きつけた5人の貴族が、かぐや姫へ求婚します。
  3. 【転】かぐや姫は、到底クリアできない難題を男性達に与え、すべての誘いを拒否。ついには帝の誘いまで断ります。
  4. 【結】実は、月の住人だったかぐや姫。おじいさんおばあさんに感謝を述べて、月へ帰ってしまいます。

このように起句では、物語の背景やきっかけを読者へ伝えます。承句と転句は、物語が展開していく部分。一番の見せ場となるため、緩急をつけながら読者をひきつけることが重要です。転句の部分では、物語の転機となるような重要なイベントが起こります。結句は、伏線を回収したり意外な事実を明かしたりします。かぐや姫の物語でいうと「かぐや姫が、実は月の住人であったこと」です。

起承転結に沿って物語を構成する場合、それぞれのパートの割合も重要なポイント。たとえば、起句が長すぎると冗長な印象になり、承・転句が短いと内容が薄いイメージになります。
一般的によいと言われている割合は、起10%、承40%、転40%、結10%です。この比率を目安に構成すると、バランスのよい文章になるでしょう。

4. 小論文や面接の応答のまとめ方

絵本(童話)を読み解き、起承転結の法則を学びながら小論文「与えられた課題」を指定の文字数内に纏め上げることを練習してみよう。

<解説>日本昔話の「浦島太郎」を思い出しながら、起承転結とは何かを考えてみましょう。

例 浦島太郎の物語(童話)

  1. 母親と暮らす浦島太郎は亀を助けた。(起)
  2. 亀は助けて貰ったお礼に竜宮城へ招待され、楽しく暮らす居場所頂いた。(承)
  3. ある日 村に残したお母さんのことが心配となって、竜宮城を離れる決心をした。お土産に玉手箱を頂戴して村に帰りました。(転)
  4. 帰ると数十年という歳月が過ぎており、もらった玉手箱を開けると浦島太郎は 白髪の老人となっていた。(結) ( 約150語)
以下に欠かせないキーワードを
  1. 起とは:浦島太郎がいじめられていた亀を助ける。(きっかけ)
  2. 承とは:お礼に竜宮城に連れていってもらい、楽しい時間を過ごす。
  3. 転とは:玉手箱をもらって竜宮城から帰る。
  4. 結とは:「開けてはいけない」といわれていた玉手箱を開けてしまい、おじいさんになる。

『浦島太郎』は主人公の不思議な体験がお話のメインの部分です。【起】で亀を助けたのをきっかけに、一連の不思議な体験がはじまります。【承】で竜宮城に連れていってもらって楽しい時間をすごし、【転】楽しい時間がおわって話の流れが変わります。そして【結】で物語にオチがついておわります。

起承転結の文字数は、以下の表を目安としなさい。
事 象 の 内 容 語数配分の目安
魅力的な出だしと世界観を述べる 10%
それを生かした事象を述べる 45%
その事象を活用して、相手(読み手・聞き手)がその続きが気になったり、惹き込まれる展開を誘導的に述べる 30%
これまでの事象の結果を踏まえ、キレイに纏め上げる。 15%

注.面接の応答を纏めるにあたってもキーワードをシッカリと聞き、額に書き込むことが必要です。その上でおおよそ300~600語数程度(プロのアナウンサーが1分間で320語)にまとめ上げる訓練が必要である。

 

 

5. 小論文のまとめ方の実践

1 私達の人生(編集1)
(1)はじめに(ご讃題)
本師曇鸞和尚は/菩提流支のおしえ/
仙教などやきすてて/壌土にふかき帰せしめき
←命題を明確に
(聖典 高僧和讃) ←「文献から選ぶ場合は出典を明確に」

命題・主題の説明を述べること
曇鸞大師(478~542)は、中国のお方です。人生の深い悩みの中で、若くして15歳で出家しました。かれは、広く仏教を学びましたが、仏教の聖典ばかりでなく、中国の儒教や道教の教えをも広く深く学びました。曇鸞は、三蔵法師の菩提流支に出遭われ、誇らしげに自分は長生不死の術を学んだと言った。インドにもこのような術があるのかを尋ねました。すると菩提流支三蔵は、唾を吐き捨てて「なんという愚かなことだ」とばかりに叱りつけました。曇鸞は、この教えに触れて、長寿不老などというものは、愚かな欲望に過ぎないと気づきました。そして「こんなおかしな教えがあるから、人は愚かな迷いを繰り返しているのです。」と、大切にしておられた仙経を惜しげもなく焼き捨てたのでした。
曇鸞は、いのちを我がものと思い込んで、その安泰を願っていた愚かさに気づき長生きをしたからとしても、人はやがて死んでいく。人は不思議な縁によってこの世に生を享け、また、様々な縁に恵まれて生きていく。そして縁が尽きれば悲しいことではあるがこの世から去らなければならない。曇鸞大師は、菩提流支三蔵から授けられた無量寿ということは、量とは関係のない『いのち』の働き、そのことに気づかれました。そして無量寿仏、即ち、阿弥陀仏を念ずる念仏によって浄土に往生する信心を得られたのです。

(2)釈迦の教えは四苦八苦である(序論)

述べようとしている事象を論じる 本論を導く重要な役目を持っている
お釈迦様が最初に説いた教えは「中道」と「四諦八聖道」である。ここで言う「中道」とは苦楽の中道と言うことであり、心ある人にとっての苦からの解放であり、生き方の最終目標であると言える。
人間は様々な問題を抱かえながら毎日を過ごしている。その中で最も切実なものが「苦」である。どんな境遇にある人も苦しみのない人はいないし、苦しみが何であるかを知っている人もない。本当の「苦」について考えてみると「苦」とはどこから来るのであろうか。「苦」のない世界はどんな世界か。このことを本当に知ることを「諦」と言うのである。私達は「苦」から逃れる場合に、仕方がない、と言って諦めてしまうのである。本当の意味の「苦」の解決、それは本当の「苦」を知り、知ることにより「苦」からの解放をすることである。

(3)苦ということ(本論)

事象に対する論証・結論に至るまでの手続き・話の中心
昔から苦は、生老病死と教えられている。生老病死と言うのは人間ばかりではなく、物にもある。新車(生)も、年々使っていればだんだんと古くなってくる(老)。長く使用していれば故障も起こるし、タイヤも傷む、ドアーの立て付けもガタガタになる(病)。やがてはちょっとしたことでエンジンが壊れて使用できなくなる(死)。人間は生老病死に加えて、更に①愛別離苦=都合のいいものから離れなければならない苦しみ。②怨憎会苦=都合の悪いものがこちらへやってくる苦。③求不得苦=ほしいものが向こうにあって、こちらへ来ない。向こうにあるままになっているような関係で、欲しくても得られない苦しみ。④五うん盛苦=五うん(身体、感情、表象力、意志、意識、の感覚・感性を言う)が盛んで、ここにあるという四つの状態である。
こういう八苦の中で、私達にわかる苦、わからない苦がある。身体が丈夫で、感情豊か、感覚も極めて鋭い、俗に言う頭も良く切れる、意志強固、何事につけてもすばらしい。それが苦であるというのである。ものが完成したがこれも苦、生が苦。何故であろうか。老病死が苦であることは納得できる。都合の悪い人、嫌いな人がきた、都合の悪いことが起こった。これが苦であることも納得できる。人間の本質は苦である。私達の人生の周りには物、人様々なものが存在している。その存在には、「ある」に対していつでも「ない」という関係がある。つまり「表」と「裏」がある。

四月になって二週目が過ぎようとしていた。突然親友が、わが子の相談にやってきた。子供は誕生日を待ちかねて免許証を取り、バイクを買って乗りまわしていたとのことでした。学校やアルバイトに行ったり来たりするのに極めて便利な交通機関である。そのこと自体18歳を過ぎ公民権もあり一定な社会的ルールを身に付けていると信じているのであまり心配をしていなかった。ところが最近になって深夜に出かけるので私も母親も不信感を持つようになった。そうして2,3か月が過ぎ、突然、「○○警察署ですが事故で緊急搬送いたしました。追って事情は調べさせて頂きますが、すぐに!」と、あまりにも唐突であったので私どもは驚くばかりであった。
私は、彼に丁度1年前に、もっと悲惨な出来事を思い出した。姉のバイクを借りて友達の家に遊びに行くと言って、5分もたたないうちに近くの交差点で正面衝突をし、死に至った。たまたま近所付き合いのあった高校生であったのでその様子を彼に伝えた。

かけがえのない我が子の死、愛しい人の別れは何時ともなくやって来る。無常である。あれやこれやと思いを巡らしてもどうにもならない苦しみである。失った命は決して取り戻せない。人間に生まれたとういうことは希有なことである。人間に生まれると言う尊い因縁がなければ、人間として命を賜ることは出来ない。命は両親の願いによって支えられている。自分の命を大切にしなさい、と。
人間は、小さな誤りを繰り返しながら大きな誤りに気づくものでもあることを認めていきたいものである。

↑具体的な内容、実体験を比喩として必ず織り込むこと

(4)人は誰でも、天国を求めている(結論)

結びをきっちりと締める
浄土の中のいのちを「国中人天」「国中菩薩」「国中声聞」といろいろな言葉で呼んでいます。人天とか菩薩とか声聞という存在は浄土にあると言う訳ではありません。この世にはいろいろいのちの相(かたち)があって、あらゆる人たちが浄土に平等に救くい取って欲しいと言う願心です。六道流転(輪廻) ー 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上 ー の六つのあり方を、いのちはクルクルと回りながら取るのだというインドの神話的な人間理解があります。
天上とは、天国のことです。天国は人間の想像では、すがた、形が消えてなくなって、精神的なあり方をイメージする。そこには本当のいのちはない。生物的に言えば、生きている命は必ず生きる身体があって、命があるわけです。生命のない命はありえません。生命活動のないいのちは、単に人間の理性が考えた妄念に過ぎません。でも、人間は、どのようなわけか、どの国であっても、どのような文化を持った人たちも、そういう理想のあり方を求めています。宗教のかたちが異なっていても、天国というところが、一番美しく理想的ないのちとして描かれたり、求められたりします。
曽我量深先生は、「仏教に触れないなら人が求めるものは、どのような宗教であっても天国なのだ。」と言っておられます。つまり天人になりたい。天人にはすがた・形がないから自由自在に何処へでも好きなように羽ばたけるからです。しかし、人間は、他の人達と共に生活し、その影響を受けながら生きていかなければならいという縛りがあります。つまり不自由なのです。人間は縛りがあるから、生きている意味もあり、生きる気力も出てきます。生きる力も与えられてくるわけですが、やっぱり縛られて生きるより自由に生きたいと願っています。
↑ 起承転結   この小論は、起承転結であるともいえます。

課題1 熟読し、感想文を作成してください。

「慈しみ」 「ブッタのことば」 蛇の章より        中村 元訳 岩波書店

究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、次の通りである。能力があり、真直ぐ、言葉やさしく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならない。

足りることを知り、僅かの食べもので暮らし、雑務少なく、生活もまた質素で簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく諸々の人の家で貪るぶることがない。

他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸せであれ、安穏であれ、安楽であれ。

如何なる生物生類であっても、怯えているものでも、強面なものでも、悉く、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、既に生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。

何びとも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いを抱いて互いに他人に苦痛を与えることは望んではならない。

あたかも、母が 己が 独り子を 命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の(慈しみの)こころを起こすべし。

また、全世界に対して無量の慈しみの意を起こすべし。上に、下に、また、横に、障害なく怨みなく敬意なき(慈しみを行なうべし)。

立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、伏しつつも、眠らないでいる限りは、この(慈しみの)心づかいをしっかりともて。この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。

諸々の邪な見解にとらわれず、戒めを保ち、見るはたらきを具えて、諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、決して再び母胎に宿ることがないであろう。

課題2 テーマ:「リーダの条件」

― 多数派の意見を必ずしもチームにとって正しい決断言い切れません。

多数派の意見を必ずしもチームにとって正しい決断言い切れません。
命の危機(険)に瀕している人を助けることは重要であるでしょう。
一方で、過酷な雪山で大切な仲間の命を預かる立場でもあるのです。
問1:登山チームのリーダは、いったい何に責任を持つべきかを考えてみてください。
冬山、雪山で ー ① 命の危険に瀕している人の救助は重要なことである。
② 過酷な救助活動で大切な仲間の命を預かる立場にある。
問2:チームのリーダは (1) 一体どんな責任を持つべきか。
(2) あなたならどう決断(判断)しますか。
問1、問2 いずれかを選んで、800字以内であなたの主張(意見)を論じなさい。

(文案1)
リーダとしての資質は日々磨かれるものであり、過酷な状態であればあるほど人の本質が溢れ出る。雪山登山においては自然に逆らわず、どう向き合うかが一番重要であると考える。
毎日を「明日は来ないかもしれない」と思いながら生きている自分にとって雪山登山とはどんな意味を持つのか。そしてリーダとして雪山に登るということはどんな意味を持つのかを考えてみる。
雪山登山では綿密な計画を立てることが求められる。雪山登山を挑戦しようとするはもちろんだが挑む直前までに天候状況の情報を十分に調べ下山までの工程図を描かなければならない。確認する。
次に、構成員全体の体調を整え、食料、飲料水、装備、防寒などの用意も怠らず、考えられるすべてのリスクを視野に入れ無理を決してはならない。撤退する決断も重要だ。万全の体制が整ったとしても天候は突然変わる。太陽は隠れ雲に覆われ吹雪になる。周辺は真っ白で何も見えなくなることもある。全員が無事に下山するためにチーム全員の体力と食料と持ち物を確認する。ビバークも視野に入れながら今何が最善であるかを考える。時間との戦いが始まる。
全体の人数によってはリーダの下に副リーダ数人必要かもしれない。全員が納得できる方法で下山できることがベストであるが極限の有事の際には選択肢が限られる。個々のモチベーションを計りながらも、リーダである以上は非常な決断をせざるを得なくとも、自分が下山できなくては全員を下山させることはできない。全員の命がかかっているということはそういうことだと考える。励ましあいながら気遣いながらも自分を律し、リーダとしてチームの命を守るために自分の命を守る。このことが自分にとっては一番つらい感覚である。それでもまた、チームでも個人でも山に登るために何が出来るかを常に思い考えながら行動をしたいと思う。

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