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    不安: 危惧・緊張・心配などの状態のことです。
    誰もが持っている恐怖心もある。差し迫ってくる自我の恐怖に予告する
    警報の発見こそが急務である。
    悩み: 塾生活、プライベート、人間関係など、人は、あらゆる側面において「悩み」に直面します。特に、受験勉強や私生活に大きな変化があったり、自分自身が「変わりたい」 と感じる人生の節目において、悩みは訪れるものです。悩みは成長のためにあるものです。その解決に塾生や父母の相談を強化したいと考えます。 

    悩みの渦中にいる間は苦しいもの。そこからいち早く抜けるために、こちらでは、様々な面で起こる悩みを解決するための考え方や、具体的な方法をお伝えします。

    失敗は成功のもと

    人は、チョットした出来事で嬉しく、また、少しのミスで心が挫けたりする。その繰り返しをしながら「失敗」の日々を暮らしている。

    故事に曰く、「失敗は成功のもと」と言われている。失敗を機に人生が変わった例を紹介したいと思います。

    第一講 龍樹大士の物語

    龍樹という人には不思議と伝説があります。彼は、もともとバラモンの出身でした。彼は、大変聡明な少年で、人並み外れた記憶力と理解力を持っていたと言われています。バラモンの難しい聖典を暗唱し、あらゆる学問を完全に収め、青年になってインドの諸国に知れ渡りました。彼には親しい三人の友達がいました。いずれも傑出したものばかりでした。ある時、その三人は、「我々は既にあらゆる学問を究めた。これからは大いに快楽を求めて生きようではないか。王様のように権力もなければ、お金もない。だから隠れ身の術を習おう。」と相談し術を習得した

    龍樹は若い頃、隠遁の術を学び、三人の友達とお城に忍び込み、お姫様たちをさらったり大事な品を盗んだりして悪事を働きました。お城では、度重なる被害に頭を痛めていました。城の大臣たちは、いろいろ考えた末、城の床に砂をまきました。すると姿を隠していたはずの若者の足跡が残っていることが分かりました。放蕩な生活はいつまでも続くものではなく、三人の親友は、城の衛兵に見つかり、無残な死を遂げてしまいました。龍樹は、 辛うじて逃れ、何とかお城を脱出したと言われています。

    人の無残な死を目の前にして、初めて自らも死について苦しみや、その原因について真剣に考え、これまで修めた学問ではそのことが明らかにならないことを知りました。彼自身の無知に思い至り、道を求めて出家したと言われています。

    龍樹大士は、八宗(律・俱舎・成実・法相・三論・華厳・天台・真言)の祖師と尊崇されています。およそ1700年前、南インドで生まれました。彼は、「十住毘婆沙論」「智度論」「中論」など多くの著書を残しています。

    龍樹大士は、『十住毘婆沙論』という著書で難行道、易行道という、念仏の教えにとても密接に関係する教えが述べられています。親鸞聖人は、このような龍樹大士の教えに出遭われたのです。[続く] 2021.5.26

    「中日春秋」鵜呑み記事

    リンゴのタルトをこしらえようとした姉がうっかり型に生地を敷くのを忘れ、リンゴだけ入れてオーブンの火にかけてしまったそうだ。それに気づいた姉が機転を利かせ、そのまま上から生地をかぶせて焼き上げた。客に出すと味と香りが評判を呼び人気となった。

    諸説はあるが、フランスの洋菓子の「タルト」は1890年頃、こうやって生まれたそうだ。失敗が成功につながった。

    アメリカの化学者、スペンサー・シルバー先生、この方も失敗を大きな成功に変えたお方である。化学、事務用品メーカーに勤めていた1968、航空機の製造に使えるほど強力な接着剤の開発を目指していた。ところが何度やってもうまくいかない。失敗を繰り返すうちに別のもの、簡単にはがれ再使用できる接着剤を発明した。やがて、これが世界的な大ヒット商品に繋がり、のり付き付箋の「ポストイット」である。 (中日春秋 2021.5.17)

     

    第二講 曇鸞大師の物語

    曇鸞大師(476~542)は、中国のお方です。人生の深い悩みの中で、若くして15歳で出家しました。かれは、広く仏教を学びましたが、仏教の聖典ばかりでなく、中国の儒教や道教の教えをも広く深く学びました。

    曇鸞が仏教を学び始めたころ、中国では龍樹菩薩の教えが盛んに研究されていたと言われています。曇鸞という名前は、釈尊のゆかりの家系の姓の下の文字と中国で古くからめでたい鳥とされてきた鸞をつけたものだと伝えられています。

    中国・梁の時代の国王が、曇鸞を常に菩薩と敬い礼拝していました。曇鸞は、三蔵法師の菩提流支との出会いによって永遠の寿を説いた教えを授かり長生不死の迷信を説く仙教を焼き捨てて仏の願いの国(仏国土)を拠りどころにされました。

    曇鸞大師は、大乗仏教を深く学び、仏教の大切さを中国の人々に広く教えを広げなければならないと考え、そのために『大集経』の注釈を著す為には、自分の健康を頑丈なものにしなければならないので、先ず、神仙の術を学ぶ決心をし、十巻からなる仙経で長生不死の術を身につけました。

    ある日、曇鸞は、三蔵法師の菩提流支に出遭われ、誇らしげに自分は長生不死の術を学んだと言った。インドにもこのような術があるのかを尋ねました。すると菩提流支三蔵は、唾を吐き捨てて「なんという愚かなことだ」とばかりに叱りつけました。

    曇鸞は、この教えに触れて、長寿不老などというものは、愚かな欲望に過ぎないと気づきました。そして「こんなおかしな教えがあるから、人は愚かな迷いを繰り返しているのです。」と、大切にしておられた仙経を惜しげもなく焼き捨てたのでした。

    曇鸞は、いのちを我がものと思い込んで、その安泰を願っていた愚かさに気づき100年、200年長生きをしたからとしても、人はやがて死んでいく。人は不思議な縁によってこの世に生を享け、また、様々な縁に恵まれて生きていく。そして縁が尽きれば悲しいことではあるがこの世から去らなければならない。

    曇鸞大師は、菩提流支三蔵から授けられた『観無量寿経』によって、無量寿ということ、量とは関係のない『いのち』の働き、そのことに気づかれました。そして無量寿仏、即ち、阿弥陀仏を念ずる念仏によって浄土に往生する信心を得られたのです。2021.6.15

     

    では、また7月にお会いしましょう。

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