名古屋の医学部予備校・医歯薬&難関大専門塾|St.Mepres

講師コラム

突然ですが、自白します。
国語屋さんをやっている身として恥ずかしい(?)ことに、
僕は「文学」…特に「純文学」と呼ばれているものと、
ちゃんと向き合ったことが。ほぼ一度もありません。
「文学史」で紹介されているような作品と向き合ったのは、
高校1年生で読む芥川の「羅生門」と、高校2年生で読む漱石の「こゝろ」だけ。
あとは一切、読んでません。

 

そりゃあもちろん、本は読んださ。ああ読んださ。
でも、歴史小説、ミステリー、それから俗に言う「ラノベ」だけ。
「グイン・サーガ」も出ている130巻は全部読んだし、
京極夏彦の京極堂シリーズも全部読んでる。
塩野七生をむさぼり読んだ時期もある。
100冊、200冊どころではなく、読んではいる。
でも、「純文学」とされているものは、1冊も…。

ついでに言うと、書物自体、
ここ数年、読んでません。
言葉にすると、ほんとにダメな国語屋なのが実感できます…。

誤解のないように言っておくと、
僕は「純文学」が高尚で、今まで読んできたものが低俗だ、
だから、「純文学」を読んでこなかったことを反省します、
そんなことは、全く思っていない。
ここ数年本を読んでいなかったことを反省しているのでもない。
そうではなくて、ただただ僕が「純文学」を毛嫌いしてきた、
本とのつき合いがここ数年断絶していた、
そういう「自白」をしているだけ。

 

ところで、こんな僕に、
この3月に、とある変化のキッカケが訪れました。
入試の分析原稿を作る仕事の都合上、
どうしても又吉直樹の『火花』を読まざるをえなくなったこと。
それから、担当する授業の内容の都合上、
どうしても「文学史」をやらなければいけなくなったこと。
(恥ずかしい話、「文学史」あんまり分かっていませんでした…ハズいね…)
それでもって、『火花』を完読して、文学史を勉強したら、
何だかとても、「純文学」と言われているものを読みたくなった。
「純文学」なるものを体験したくなった。
そういうわけです。

『火花』が僕にとってどんな作品だったか。
それを語る権利も、資格も、今の僕にはありません。
「批評」をするには、知識が足りない。
そもそも、「批評」をする立場に自分の身をおくこと自体、
かなり警戒している。

 

文学者の松浦寿輝が、
「批評」なんていうのは、
作品世界をそのまま受容させられるという「劣位」に耐えられないエゴイストが、
作者と「対等」の位置…場合によっては「優位」に立つべく、
作品の外部に自ら抜け出てツベコベ言っちゃったがゆえに、
肝心の小説を心から楽しむことができなくなった、そういう存在だ。
・・・というようなことを言っていた。
(ちょっと誇張してるな…)

芸術は、そこにあるものをそのまま受け止めるべきだと思う。
芸術を言葉にして、作者と対等な位置に立ったつもりになってしまうのが、いやだ。
そういう行為は、
場合によっては、世界を創った人に対するただの怨恨感情だ。

「批評」自体を否定する気は、もちろんない。
「批評」は本来、芸術を創った人とそれを知らない人とのバイパスになるから。
創られた世界とそれを十分に把握できていない人との、緊密な結びつけをするというのは、大事な仕事だ。

でも、そういう「批評」本来の本質を見失ったただの批判は醜いし、
そういう醜い「批評まがい」を最近非常によく見る気がする。
そういう、嫉妬混じりの怨恨感情だけに駆られた批判だけは、
僕は絶対にしたくない。

だからぼくは、「批評」はしない。
もちろん、「批判」もしない。
下手な「批判」、安易な「批判」は、
たちまち、よくない意味での「批評」になるから。
僕はせいぜい「感想」文を書くだけの存在であろうと思う。。

だから、『火花』も批評しない。ただ受け止める。
そうでなくても、今の僕には『火花』を云々する権利はないんだから。
これから読むであろう作品との関連で、
再び『火花』の話をする時があるかもしれないけれど。

それから、かつて読んでいたミステリーや歴史小説は読まない。
これは、自分に対する「縛り」にしたいと思う。
散々読んできて、あれらが面白いのはもう知っている。
でも、僕が今体験したい面白さはそれじゃない。
「純文学」という新しい面白さだ。

 

というわけで話を戻すと、
先日、『火花』を読了しました。
数年間停止していた読書活動自体が、再開されました。
スイッチ入ると、順調に稼動するもので、
実は『火花』に続いて、遠藤周作の『死海のほとり』も読了しております。
更に続いて、村上春樹の『1Q84』を読み始めました。
既に下巻の真ん中辺りに到達しております。
繰り返しますが、まだコメントする気はありません。その権利もありません。
一言漏らしておくと、村上春樹って、こんなに強烈だったっけ…。

ちなみに、どういう選考基準で上の3冊が選ばれたかというと、
たまたま家の本棚にある本の堆積の中にあったから。
『火花』は、仕事の必要上、つい先日買った。
『死海のほとり』は、親の持っていたものが僕の本棚に収まっていた。
『1Q84』は、ある仕事場のスタッフさんから、何の因果か買い受けた。
つまりこれらは、偶然集まった本たちです。

これから、自分が読んだ作品について、
ちょいちょい書いていくかもしれません。
まずは、その開始宣言でした。

 

2017年4月23日 記

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